どーも。
雨がやんで、峰の原は霧に包まれています。
大震災、福島原発の大爆発から、一年以上が過ぎました。
災害によってなくなられた方々に、ご冥福をお祈りいたします。
また、災害に遭われた方々が、心身ともに健康でありますようにお祈りいたします。
日本の、被災地の、復旧復興はまだまだ長い道のりになりそうだし、
福島原発も多くの人が放射能の恐怖に耐えながら復旧につとめているが、
まだ、先が見えない状況に見える.
災害を受けなかった場所は、一見、日常を取り戻したようにもみえる日本全体だが、
311以前には、もうもどれないし、
日常の質感が、変わったような気がする。
多くの人が、国や政治,社会のシステム、原発、エネルギーの事、自分の暮らし、食べ物、
すべての価値観に、疑問を持ったからだろう。
国としては、とっても不安定な状況かもしれない。.
でも、この状況ははいい方にも悪い方にも進めるチャンスではないか。
日本全体が、甚大なダメージを受け、人々の心も大きなダメージをうけて、
疑問を持った今こそが、国や企業ではなく、
日本に暮らす、それぞれ個人の心を結集させるべき時かもしれない。
自分たちの目指す暮らし,幸せを想像して、
それに向かって、愛を持って、みんなで声を出して、議論して、戦って、工夫して、
変化を恐れず、でも慎重に、強く、優しく、楽しく、個人が繋がって、
笑顔で未来を想像して、そして、自分たちの社会を創造していく時だろう。
この震災や原発の爆発から学び、進むしかない。
福島の原発事故は、国の責任であるし、東電の責任である。
これは、まぎれもない事実で、責任をしっかりとってもらう義務がある。
でも、少しの関心を持っていればこの事故は誰もが想像できた事にも思える。
僕も含め、日本国民、日本の大企業、
もっといえば世界の人々、世界の大企業にも責任がある。
危ないと思いながら、見て見ないふりしたり、
完全に無関心だったり、お金のために推進したり。
でも、この一年で気がついたはずだ。
核を扱う事の危険さ、放射能汚染の恐怖に。
僕は思う。人々が暮らす上で必要な事は、
衣、食、住、笑いである。
衣とは、着るものだ。繊維や毛等は、植物や動物からできている。
食とは、食べる物だ。
水,山菜、野菜,肉、魚,米などは、森や海,川,、山、大地からの恵みである。
住とは、住む場所である。家は森の恵み、木や石からできている。
もちろん、衣食住には、鉄やコンクリートやアスファルト、
石油製品もたくさんあるけれど、持続的ではないし、
山を削ったり、穴を掘ったり、恵みではなく、ただの自然からの搾取である。
笑いとは、衣食住が安定している事、家族や友達、人々が繋がっている事、
暮らしの中のクリエイティブで生まれるもの。
きれいごとかもしれない。
でも、きれいごとは普遍的で真実である。
福島原発の大事故で分かった事は、放射性物質(核)は、
目に見えない、匂いもない、キラキラとした空を舞い放射能を拡散するのだ。
そして、ほんとーに長い間、もしくは永遠にちかいくらいにそれは、
ふりそそいだその場所にとどまったり、水で流れて、川や海にも流れる。
もちろん、海にでても消える事はない。海底につもり、海藻や魚の体に入り、
放射線をだし続ける。捨てる場所も、処理の仕方も分からない。
空や海で、世界は繋がっている。
すべての生き物の暮らしを支える地球をを壊すのだ.
それは、確かな事だ。
だから、BOKURANODEKIRUKOTOの一つとして、原発を止める事。
すべての生き物の自由を脅かす、原子力発電や核兵器はいらない。
日本のすべての原発がもうすぐ止まる。
一度止まった、原発を再稼動させてはいけない。
それkら、日本の原子力発電の犠牲になった福島や津波の被害にあった地域の
現実を直視し続け目をそらさない事。
想いを寄せて、なにかできる事をする事。まずは、現状を知る事だろう。
BOKURANODEKIRUKOTOは、自分たちの未来を、自分たちで切り開く事だ。
先は長い。無理せづ、息切れをしないように、前向きに進もう。
楽しい未来へ。LOVELIFEPEACE.
さっきまで空を覆っていた霧は晴れて、太陽がのぞきはじめた。
2011年9月19日、明治公園での「さようなら原発5万人集会」で、
感動を呼んだスピーチをした、武藤類子さんの本を読みました。
一度お会いしましたが、穏やかで話しやすく、でも、とっても意志の強いひとです。
脱原発や現在の福島の復興に尽力を注いでいる方で、気持ちの伝わる本です。
武藤類子 著 『福島からあなたへ』
ハイロアクション福島原発40年